戦後の市民、高みの見物

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2025年は、第二次世界大戦で日本が降伏してから80年である。この区切りというのは、戦争が終わってからおよそ人の一生に値する時間が過ぎたということであり、戦中に生きた世代から戦争の知識を継承する世代へと移り変わったことを表している。

日本に限ってみると、この80年の間、日本が他の主権国家に対して実力を行使したことはなく、戦争によって生活が変化させられることはほぼなかった。この平和と呼べる期間が現在まで続いていることは大変喜ばしい反面、戦争の影を感じながらも日常生活が変わらず続くことを願った過去の人々の苦悩を想像することが難しくなっている。

内戦や国家間の軍事衝突がない世界を目指すためには、まさにその最中にいた人々が世の中の動きと日常の漸次的な変化をどのように感じ取っていたかを参考にして、現在の我々の状況を推し量る必要がある。世界大戦とは呼ばれずとも、争いの絶えない状況が現代には存在するということを決して忘れずに過去の世界を覗くことにする。

1939年から17年の間に発行された北海道帝国大学新聞の紙面を参考に当時の様子や学生の意見を取り出した。

北大新聞に載せられた記事の中で一貫して取材の題材となっているのは、満州開拓に関する記事だ。これは満州での生活を綴ったものや、これから行く学生を称えるものなどがある。満州一帯への移住も推奨されていた時期であるため、誰が移住し、何をして、どのような成果が生まれているかという事柄が国内の日本人にとって需要のあるニュースとなっていたからだろう。性質は全く異なるが、まるでアメリカのメジャーリーグへ行った日本人選手のニュースが毎日、日本のワイドショーで流れるようなものだと想像すると雰囲気を感じ取りやすい。

さて、満州への開拓団が定期的に日本から出立していたが、それは今でいう交換留学生のようなものであり、異国の地で生活することへの不安と他の学生を代表している責任感が背中合わせであったという。当時の北大新聞から出立する学生の描写を探すと、「挺身部隊」に所属する学生らを形容するために「悲壮感・責任・覚悟」といった単語が見られた。

戦争が本格化していくと「学徒出陣」を報じる記事も増えていく。「学徒出陣」に関する記述は日本軍の進撃を勇ましく表現したり、総力戦の力強さを中心に置いたものが目立つ一方で、満州は、不衛生で貧しく、開拓事業も重労働であると書かれている。

満州や華北での生活は移住者と日本本土との交流があるために比較的詳細に市民へと伝わる。しかし、戦場に関する情報は市民まで伝わらない。

記者がこの事例を取り上げた理由は、市民の生活により多く関わっている方が実態に関する詳しい情報を手に入れられるということ以上に、情報の不均衡があることによって実態以上の評判が一般人の間に流布することがある事例だからだ。大雑把にこの現象を現代に落とし込めば、報道における情報の空白は、偏向報道といったような言葉に置き換えられそうだ。けれども、個人的に正しい表現は先入観、思い込みという言葉が適切だと思う。というのも、確かにプロパガンダによる兵役の印象操作はかなりあったと思われるが、紙面に書き起こされる情報の深度が全く異なるのだ。

満州についての報道であれば、大学にいる熱心な学生などが移住してその土地での仕事が紹介され、食べ物など生活の報告があって、移住者の心境が描写され、今後の展望が語られる。対照的に学生の兵役に関する報道は、誰が対象で、いつから始まり、そして出陣する意気込みが話されるのにとどまるのだ。かたや、計画・実行・反省の段階をふんでいるというのに、一方では計画の段階しか分からない。兵士はすでに戦地へ赴いているのに。

外交に関する国際関係の時事も興味深い。(以下は記事の要約)

「独伊が民主主義国に与さない内は日本が窮地に陥ることもないだろう」「日本の政策に強く反発しているのは英国であるが最近(1939年2月21日)の強硬な米国の態度も気になる」「中国の共産化を防ぐことも考えたら民主主義国も日本の東亜共栄圏をいずれ認めるだろう。反日統一戦線も強固なものではない」という意見が見られる。

この内容は、結果論で言えば北大新聞の記事の考えが浅いとも捉えられる。しかし、アメリカに比べれば日本の諜報活動の規模はかなり小規模であったようだから、その点を考慮すれば十分、筋が通っているものだと考えられる。

ひとつ、これらの記事から現代の私たちにつながる学びを見つけ出すとしたら、「強硬な米国の態度」という箇所である。現代では戦勝国という箔もついて戦前よりも国際関係における立場が強くなっているとはいえ、当時の考察も踏まえると米国には根本的に国力が培われやすい環境にあると感じる。それは農業、林業、鉱業、工業を始めとする国の基幹産業の割合が上手く釣り合っていることだと思う。平たく言えば、生産と市場の輪が一つの国の中で完結しているということだ。

現代では極度の国際化によって自立した経済を自国の政府だけで管理することはできないと思うが、経済において他の国に対する依存が少ないことは外交において自らの意見を通すための基礎的な力になっているのだろう。

現在のアメリカ大統領はドナルド・トランプ氏であるが、例えば欧州との連携が弱まっているように見えるのも戦前と同様にアメリカという国の自立した国家運営のためだろう。

日本が軍部独裁のファシズム的体制になったから戦争への道を突き進んだという考え方が主流であることは前提として、記者は戦争の原因の1つに、開発する際の資本投下に難があったのではないかと想定している。これは数年分の紙面を読んで、華北と満州の駐在記や旅行記の記述に、街の発展の様子や苦しいながらも楽しみを見出すといった積極的な感性が欠けていたためだ。開発に時間がかかる一方で、お金を投下してしまったために資本を引き揚げられないという板挟みの状態であったのだろう。

(取材・撮影:安藤 執筆:吉村)