【コラム】現代ジャーナリズムを考える — “事実”は真実たりうるか?

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既存メディアの眼前に垂らされた三本の「蜘蛛の糸」

現代はジャーナリズムが民主化した時代と言える。プロとアマチュアの中間層の人間が運営するネットニュース企業へのジャーナリズムの開放にとどまらず、ブログやYouTube、各種SNSといったソーシャルメディアにより誰でも情報を発信できる時代となった。その混沌の中でジャーナリズムにおける独占的地位を失った既存メディアは生き残りをかけた重大な局面に直面している。

「溺れる者は藁をもつかむ」と言うように、既存メディアは「事実確認を怠った速報」、「社会的意義を欠いた報道」、「話題性を優先した偏向報道」という3本の「蜘蛛の糸」をつかんでしまいかねない。

その状況を踏まえ、「北大新聞」のジャーナリズムがどうあるべきかを、北海道の某ローカルテレビ局で報道された「北大恵迪寮ガスコンロ使用禁止命令」における問題を例に考えていく。

報道内容

そのローカルテレビ局は「北大・恵迪寮にガスコンロ使用禁止命令 ホースが熱で溶け火災につながる恐れ 札幌市消防局」と題し、5日午後6時ごろ以下の趣旨の報道を行った。

札幌市消防局によると、10月30日に北海道大学恵迪寮に行った査察で寮内3か所のガスコンロに繋がっているガスホースが熱や油の影響で溶けているのを確認した。消防は消防法違反にあたるとして寮を管理運営している北大に対し安全措置が取られるまでの間、違反している3か所のガスコンロの使用を禁止する命令を出した。
(細部に変更を加えているが、報道の情報量は上記とほぼ同一である)

この報道に対し、X(旧Twitter)上では本件を非難しその責任を学生に求める意見が多く散見された。

以下に8日までにX上に投稿された、この事実を報じるローカルテレビ局の記事を引用し意見を述べたポスト(57件)の意見を集計した結果を掲載する。この結果は意見の全てではなくあくまで傾向を分析したものであることに留意されたい。

X上の傾向(作成:山口)


実態と背景

では、この使用禁止命令の実態はどうだったのだろうか。北大新聞は寮の運営を行う北大学生支援課、恵迪寮自治会、札幌消防局北消防署に取材を行い、その全容を調査した。

本件の発端は、今年の7月上旬に恵迪寮内にある2基のボイラーのうち1基が完全に停止してしまったことに遡る。もともと両基のボイラーが不調であったが、金銭難を抱える北大としては苦しい設備運用を強いられていた。しかし完全停止を受け、大学はボイラー交換を決断した。

ボイラー交換が完了した10月30日、札幌市火災予防条例第66条に基づき所轄消防署による稼働のための検査が行われた。この検査のついでとして防火・人命保護の観点から行われたのが、本件の報道で取り上げられた査察である。

このような査察は、消防法4条に基づく消防局の一般的な業務の一つであり珍しいことではない。札幌市消防局北消防署予防課職員は「一般の方ではどのようなところに危険があるか判断がつきにくいためこういった見回りを定期的にする。消防署の仕事は消火活動だけではなく、事前に危険があるところをお知らせすることも仕事の一種である」と話す。ただし、人的・業務的制約から、他業務と同時に査察を行うことが多いという。

査察の結果、職員は寮内3か所のガスホースに危険性を確認し、修繕を指示、修理完了までの使用停止命令を行った。北大学生支援課は即日業者へ依頼し、5日に修繕を完了、翌6日に使用禁止命令は解除された。

修繕命令が出されたガスホース(左)と修繕後の同箇所(右)

また今回の状況を受け、恵迪寮自治会は北大と連携し再発防止策を協議している。

これが本件の全容である。この話を前提に前の報道を見るとかなり違う印象を受けるのではないだろうか。

乖離する二つの物語

本件の報道には、以下の点で事実との温度差が生じている可能性がある。

まず挙げられるのは、報道では査察に至った経緯が省略されている点である。そのため、査察が突然かつ強制的に行われた印象を与え、恵迪寮側に隠蔽があり、それを暴くかのように消防局が乗り込んだと受け取られかねない。そこまで極端な想像に至らなくても、「消防局=正義」「恵迪寮=問題当事者」という構図で認識されやすいことは否定できない。

次に、指示命令の焦点がずれている点が挙げられる。報道内容からは「使用禁止」が強調されている印象を受けるが、全容からは「使用禁止」はあくまで修繕までの一時的な対応であったことが伺える。安全確保の観点から修繕まで使用を控えることは妥当であり、当該指示自体は適切である。しかし、報道の中での焦点のずれにより、この指示が「消防法違反に対する罰則的対応」であるかのように解釈されてしまう。確かに報道の中で「安全措置が取られるまでの間、違反している3か所のガスコンロの使用を禁止する命令」と述べられてはいるが、報道の見出しに掲げられた「北大・恵迪寮にガスコンロ使用禁止命令」からは意図的な焦点操作さえ伺える。本来の事実と消防局の意図から照らし合わせると「北大・恵迪寮にガスコンロ修繕指示」が適切である。

もう1つ注目すべき点は報道の時間的背景である。当該のローカルテレビ局がこの件について初めて取材を行ったのは報道当日にあたる5日のことであり、取材対象は札幌消防局北消防署のみであった。この日には該当箇所の修繕が行われており、使用禁止命令の解除の目処は立っていた。しかし、そのローカルテレビ局は北大学生支援課、恵迪寮自治会への取材を行わなかったため、解決部分が省かれた報道となった。問題解決の見込みや再発防止策の有無は受け手の印象に大きく影響するため、この省略は情報の受容に偏りを生みかねない。

また本件の報道は、取材に対応しようとした北大の申し出を断って断行されたことも重要な事実である。北大学生支援課の職員によると、北消防署への取材が行われた5日、北大学生支援課にも取材の申し込みがあった。しかし、北大学生支援課の職員がこの日の午後3時に取材対応について電話を掛けたところ「時間的余裕がないため、取材は結構」と一方的に断られたという。この事実からは、当事者への取材が必要であることを認識しながらも、何らかの事情により取材を実施しないまま報道が行われた構図がうかがえる。なおこのローカルテレビ局は17日時点でこの報道について、更に事実を掘り下げるもしくは本件の解決を述べる報道、そして当事者に対する取材を行っていない。

命令が発令された10月30日から一定の時間が経過していた点も見過ごせない。取材開始時点で指導された日から既に6日が経過してしまっているため、この情報に速報として出すことが必要とされるほどの情報としての「鮮度」があるようには考えられない。したがって、報道時期を遅らせてでも当事者への情報確認を行い、より正しい情報を得てそれを報道することを重視するべきではないか。

本件から学ぶジャーナリズムの真髄

本件の報道は、嘘を含まないという意味では「事実」を述べている。しかしその「事実」は必要な情報が欠落し真実に到達していない、不完全な事実である。

既存メディアが大事にするべきことは「事実を述べること」ではなく、「その事態に関する100%の事実を伝えようとする誠実な努力」だと考える。この姿勢こそが、オルタナティブメディアや個人発信型ジャーナリズムとの差別化になると考える。

では100%の事実を伝えるために必要なことはなんだろうか。記者は「情報の起承転結+背景」を理解し、可能な限り伝えることが重要だと考える。本件の報道では「起承転結+背景」の「転」の部分のみが取り上げられていた。その結果、受け手に誤ったイメージが形成される可能性が生まれた。このような「偏向報道」に走らないためにメディアには「情報の起承転結+背景」を知りそれを発信する努力が必要だ。

実態と背景を踏まえて冷静に考えれば、本件は特筆性の高い事案ではなく、一般家庭でも起こり得る事例である。これは「問題が小さいから報道価値がない」という意味ではない。本件は人命に関わるとても重大な事案であることは間違いない。しかし、本件を「火災対策・人命救助」という側面で取り上げるのではなく、「北大で起こった事案である」という側面を取り上げる意義は現時点では確認できない。そのため、報道の受け手が本件を「北大の過失を強調した報じ方」であると受け止める可能性は、一定程度考えられるだろう。このような意義を欠く報道は、無責任である印象を与える。メディアは常に「なぜこの情報を社会に提供する必要があるのか」という自問が必要である。この自問自答を心がけることが、「社会的意義を欠いた報道」から逃れる一助となる。

また、メディアは情報の精査と更新を継続的に行う必要がある。既存メディアは速報性において新興メディアに劣ることは事実であるが、その差を埋めるために精査を省略し、速報性に傾倒することは本質的な解決策ではない。既存メディアは「正確性」と「情報量」という自らの強みに立脚すべきである。この2点は暫し報道の「速さ」とトレードオフの関係にある。だからこそ既存メディアの強みが十分に生かされるのではないか。速報自体を否定するわけではないが、続報で情報を更新し、正確性を補完する姿勢こそが求められる。

多角的な視点から

ここまで批判的な内容が中心となってきたが、正当な報道を求めるうえでは、テレビ局側にも一定の事情が存在する点を考慮しなければならない。まず、取材に投入できるコストやリソースには限界があり、複数の報道案件を扱う中で、事実確認に必要な人員や時間が不足してしまうことは避けられない。そのため、本件のように既に結論が出ている案件については、速報レベルの情報量でまとめ、投入労力を最小化してほかの案件に充てるという判断自体は、必ずしも非合理とはいえない。

さらに、既存メディアは慈善事業ではなく収益を基盤とする事業団体であることも念頭に置く必要がある。報道内容には一定の話題性が求められ、事実の範囲内でより多くの視聴者の関心を引くために情報を取捨選択することは不可避である。その観点に立てば、「北大」という北海道における強いブランド力を持つ対象に着目し、「北大の過失」をやや強調して報じることは、商業的合理性に照らして全くの誤りとは言い切れない。

このような事情を踏まえれば、本件報道の内容に至った背景自体は理解できる。しかし、理解可能であることと、その報道姿勢を容認できるかどうかは別問題である。本件の当事者への取材では、「自分たちに確認がなく、結果として事実と異なる形で報じられてしまったことは不本意である」という点で意見が一致していた。報道側にとっては速報で済ませられる案件であったとしても、既存メディアの社会的影響力は大きく、特定の団体や個人に批判が向けられた場合、当事者はその影響力へ対抗するための十分な弁明手段を持ち得ない。だからこそ、既存メディアは当事者への慎重かつ丁寧な取材を行うべきであり、それを怠れば「不本意さ」を一方的に押し付ける結果となる。

(執筆:山口、取材:安藤・山口、写真提供:札幌市消防局北消防署、撮影:山口)