【受験特集:どんな道でも、道は道】第7回(1)人生に回り道はない 学びたいことを追って——挑んだ”編入試験”

「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉を、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。聞けそうで聞けない、在りし日の話を取り上げる特集「どんな道でも、道は道」。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。
これまでたくさんの北大生を取材してきた本企画。再受験、高卒認定、仮面浪人……様々なバックグラウンドを持つ受験生たちにとって、北大はずっと「ゴール」であり続けた。だが、北大に入ってくる受験生が居る一方で、北大を出ていく受験生も居る。彼らは何を思い、そして北大を去ることを決めたのか。
第7回の主人公は工学部2年の島﨑一輝さん(20)=群馬・高崎高校卒業=。北大に合格しながらも、自分の道を模索し続けた学生の物語をお届けしよう。(取材:古谷)

夢を抱き、夢を叶えたはずだった
「ここに来た皆さんは一級建築士を目指していることと思います」——2025年4月、所属する北大工学部環境社会工学科建築・都市コースの説明会で前に立った教授が、開口一番にそう言った。その時に抱いた気持ちを、島﨑さんは今でも覚えている。「進みたい道は別だ」。
周りを囲む同級生と違って、島﨑さんは建築士になるつもりは無い。目指してきたはずの北大工学部。やりたいことは、そこに無かったのだ。
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では何故島﨑さんは建築・都市コースに所属していたのか。きっかけは14年前に起きた東日本大震災にまで遡る。
群馬県で一人っ子として育った島﨑さんは、震災当時5歳。起きている事態は理解できなかったものの、青と白の原発建屋、テレビから鳴り響くサイレン、繰り返されるAC JAPANのCMといった異様な光景が痛烈に記憶に残った。その後、それが震災であったと知った時から、災害に対して役立つ人になりたいと思い始めたという。
漠然とした思いが具体的になったのは高校2年生の終わりだった。受験する大学を考える中で、工学部の環境社会系の学科を目指すことに決めた。繰り返し周りに話してきた夢だっただけに、両親も決断を後押ししてくれた。
受験したのは京都大学工学部地球工学科。災害関係の研究ができる所であり、自由な雰囲気にも憧れた。
だが、島﨑さんは前期試験を失意のうちに終える。「受験が終わった段階で、受かったら良いけど落ちているだろうなと思っていた」。その直感通り、結果は不合格。はなから浪人は視野に無かった彼が後期の受験先に選んでいたのが、ここ北大であった。
北大を選んだ理由はいくつかあったというが、実のところ「環境社会系の学問ができる大学で一番偏差値が高いところを選んだ」というのが本心。京都大の失敗は引きずらず、難なく受かった北大でやっていこう、と考えて入学式に臨んだのが2024年の4月のことであった。
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確かに島﨑さんは第一志望に落ちたものの、幼い頃から夢見てきた「災害に対して役に立つ研究」ができる学部に入学できた。失敗を引きずることも無く北海道の地を楽しみつくそうとすら思っていた彼は、夢を叶えた大学生として生きていくはず……。
しかし人生はそう上手くいかなかったのである。
新たに生まれた興味と関心
1年後期、教養課程の授業「CHAIN」で島﨑さんは自分の関心が別の所にあると気付いた。彼が興味を惹かれたのは「人工生命」の講義回。生命誕生の過程をコンピューターシミュレーションで再現しようとする研究の紹介に、心が動いた。元々「物理法則に従う粒子がなぜ思考できる人間を生むのか」という疑問を持っていた島﨑さんは「この研究を大学でしてみたい」と思うようになったという。
哲学的な研究がしたかったならば、どうして文学部に行かなかったのかと記者が問うと、少し考えた後に島﨑さんはこう答えた。「物に準拠した学問が良かった」。文学部の扱う哲学は、人間の思考体系の上に成り立っていて科学で証明できない点が苦手だったという。脳神経を扱った教育学部の教養の授業も受けてみたが、脳波を使って人間の知覚を知ろうという研究にピンと来なかった。そもそも何故脳波と感情が結びつくか、というシステムの方がはるかに知りたかった、と島﨑さんは当時を振り返る。
興味の赴くままに本を読み漁り、あるいは人と話す中で、島﨑さんの中にもう一つの関心がはっきり表れてきたのだ。単純な物理法則が複雑な生命・思考を生み出す過程を数式で表せたら……友人に話すと「非平衡統計力学」という学問を紹介してくれた。新しい分野にワクワクが止まらない。その一方で環境社会工学科は自分に向いていなかった。数式を計算して強い街づくりを考え、研究として災害・防災に向き合う自信が無くなっていた。研究対象というよりもボランティア先として被災地と関わるべきだった、と気づいた時、彼の10年来の夢は完全に消えた。
