イチョウ並木の誕生の秘密 ―歴史とともに変わる北13条通り【#北大discover(新連載)】

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北13条通りの現在の様子

本学のランドマークの一つにもなっている、北13条通りのイチョウ並木。最も見ごろを迎える10月末から11月初めには多くの観光客で賑わう。しかし、その始まりはいつなのだろうか。現在の黄金色の光景が生まれるまでの歴史を紐解いていくため、本学大学文書館の井上高聡(たかあき)准教授らに話を聞いた。

北13条通りの整備 そこにイチョウはなかった

背の低い木々が道の両側に確認できる(北13条通り整備当初の様子 左が医学部、右が病院)

イチョウ並木の歴史を語るには、まず北13条通りの歴史を見ていく必要がある。本学の北13条通りの歴史は1919年に医学部が設置され、21年に付属医院ができたことに始まる。医学部の前庭の整備とともにメインストリートから本学の東側に沿って延びる通りを結ぶように整備された。北13条門から医学部へ通う学生と、現在の教育学部辺りにあった恵迪寮の寮生が利用していたと考えられる。

この頃からイチョウは存在していたのかというと、実際はそうではなかった。当時の北13条通りはサクラとカエデの並木だったのである。当初医学部の教授からはポプラ並木にする案もあったそうだが、整備を任された農学部の助教授らがポプラには毛虫がついてよくないと反対し、サクラとカエデを選定した。31年の医学部学友会誌「フラテ開学十周年記念特輯(しゅう)号」には、「昨今、花紅葉も追々と見られるやうになつた」とあり、見ごろを迎えていた時期があったとわかる。サクラとカエデの並木の時代は36年頃までしばらくの間続く。

イチョウ並木誕生 そして戦争へ

比較的大きな木の隣に非常に細い幹のイチョウがみえる(医学部正面の様子)

いよいよイチョウ並木は36年頃に誕生する。しかし、これは実際に記録が残っているわけではなく、数年後の写真から成長を考慮し推定したものだ。肝心のイチョウ並木を整備した理由についても資料にない。井上准教授によると、イチョウを街路樹として植える理由の一つとして、イチョウが火に強く、防火帯の役割を担ったことが挙げられるという。ただ北13条通りの場合は「秋の美しい景観が主な理由ではないか」と話す。イチョウは車道の近くに、並木の間を縫うようにして植えられた。

こうして、サクラ・カエデ・イチョウの3種がそろう並木となった北13条通り。しかし太平洋戦争期の42年以降になると、丈夫なサクラやカエデは本学構内に防空壕が作られた際、壕を中で支える柱として使われていったという。当時、本学に多く分布するハルニレはもろく、イチョウも樹齢が短かったため使われず残ったと考えられる。そのほかにも、医学部や付属病院の工事によって無くなったのではないかという推測もある。様々な理由が考えられるが、戦後にはサクラとカエデの並木は姿を消した。

黄金色の並木 イチョウ並木の成熟

歩道が草で見えなくなっている北13条通り(右が医学部校舎)

戦後も、北13条通りは少しずつ変化していく。舗装が今ほど立派なものではなかったため、50年頃の写真からは歩道が草に埋もれてしまっているのが分かる。そこで66年に改めて歩道が舗装され、20年程前にはレンガ調のものに変わり、現在の姿になった。

このように変化を遂げてきた北13条通りとイチョウ並木。今にはないサクラやカエデの並木、そして今に続く学生が通う光景など、過去の姿を知ることで、普段何気なく見ている景色を少し違った角度から楽しめるようになるかもしれない。

※現在の様子以外の写真は全て本学大学文書館提供