クラーク博士創設の討論会、約70年ぶりに恵迪寮で復活

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かつてクラーク博士の肝煎りで行われた討論会が、70年ぶりに開催されるらしい―——。そんな話を聞いたのは、会が始まるわずか4時間前のことだ。有志の学生が恵迪寮で2日に開いたその会の聞き慣れない名前は「開識社」。

たくさんの寮生たちが詰めかけた開識社の会場(2日、画像の一部を加工しています)

知「識」を「開」く場だ、という開識社が学内で初めて開催されたのは、さかのぼること1876年。なんと、札幌農学校開校と同じ年だ。当初の目的は英語によるプレゼンテーション・ディスカッションの能力を高めることだったようで、呼びかけ人はあのW・S・クラーク博士(札幌農学校初代校長)だとされる。会での議論が恵迪寮創設のきっかけになったともされており、活況を呈していたことは間違いないだろう。

そんな開識社が、いつしか開かれなくなった。経緯を語る資料は少ないというが、戦後間もなく開かれなくなったとされる説が有力だ。戦時中の言論統制が与えた打撃に加え、60年代に最盛期を迎えた学生運動に言論の主軸が移ったことが主な原因だとされる。その存在は恵迪寮内で口承されたものの、自由闊達な議論の場を好む風土が学生に根づいた当時において開識社はその役割を失ったのだ。

だが、こうした風土も近年徐々に失われてきている。そう警鐘を鳴らすのは、恵迪寮を盛り上げていこうと今回の開識社を企画した高澤共生(ともお)さん(水産学部2年)だ。
「恵迪寮生が破天荒なイメージは今もあるけど、実際は体育会系な習慣ばかりが残って発想が凝り固まっている。開識社をやることで、文化的にももっと自由な恵迪寮を作りたい」

70年の時を経て、恵迪寮内で再び必要とされ出した開識社。とはいえ、再開には困難が伴った。開催が途絶えた時期すらはっきりしないイベントの具体的な開催のノウハウなど、残っている記録はゼロに等しい。「新しいイベントを始めるつもりで、面白かった授業なども参考に具体的なアイデアを練った」と、高澤さん。

そして迎えた2日。70年越しの復活に、50人ほどの寮生が立ち会った。いくつかの小さなディスカッションを挟んで、高澤さんがセッションの最後に問いかけたのは「恵迪寮は面白くあるべきなのか、それとも社会的な意義があるべきなのか」。10人ほどのグループに分かれた寮生たちが、普段から抱えていた思いをそれぞれ語った。寮生たちの「文化的自由」が、少し芽を出したような気がした。

壇上で語り合う寮生たち(2日、画像の一部を加工しています)

最後に、北大新聞に記事を載せる上で大事なことを1つ聞いてみた。「寮内で話が完結するなら僕の記事はいらないかもしれないけれど、次回以降は寮外からも学生が参加してほしい?」そう記者が聞くと、高澤さんははっきりと「来てほしい」と答えた。
「恵迪寮をもっと面白くすることが開識社の目的だけど、寮生の中には人間関係が寮内の学生とだけの人も多い。寮外の人から受ける刺激は、必ず自由な議論のきっかけになる」

大盛況のうちに幕を閉じた初回についても「まだまだ改善の余地がある」と話す高澤さん。ゲストスピーカーに本学副理事の土屋努特任教授を迎えた次回の開識社は、7月23日の20時から恵迪寮で行われる。恵迪寮OBの土屋特任教授に「昔の恵迪らしさが、今の寮生の刺激になったら面白い」と期待する高澤さんの狙いは、届くか。70年の時を超えたアンビシャスな復活劇から、目が離せない。

(取材・撮影・執筆:田村)

2023/08/20追記:外部からの要請を受け、画像の一部を加工しました。