学生記者VS北大入試、代表が現代文に大苦戦…?【2024年度国語第1問】

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第1問(5)

さて、皆さんは答えがわかったでしょうか。ゾンビの肩とバッキバキな肩は、どういうセットか。もったいぶって書いたけど、解答根拠があんまり隠せてませんでしたね。そう、イケメンゾンビが見つからなかった2ページ目の(2)傍線部直後とスマホから死臭が漂ってこなかった2ページ目のおしりです。

どういう関係だったか、改めて整理します。まず、ゾンビの肩はバッキバキな肩みたいに「肉の塊に近い」ものでした。どっちも、不快な身体でしたね。次に、ゾンビの肩はバッキバキな肩みたいに「身体であると同時に虚構」でした。意味するところはさっき確認した通り(物質的なリアリティはあるのにリアルに存在してはいない、って話でした)ですが、記述に使えそうなフレーズをゲット。

さっき読んで右から左へ抜けてった注も、「身体」が頭での「イメージ」なんだと分かった今ならどうにか食らいつけます。注を読むに、身体を誘導する「環境管理型権力」&「脳科学化する生権力」セットというのはつまり、僕らの頭が映画を見たりゲームをやったりすること(=「環境設計」)によって僕ら自身の身体イメージを変えていく(=「僕らの身体」はどれなのか、「人間の生に積極的に介入」する)力のことですね。僕らの頭にはこういう力があるから、「管理・誘導」される僕らの生身のバッキバキな肩は僕らの脳のご機嫌次第で僕らの身体にもなるし逆にガン無視されて僕らの身体ではなくなりもする。かくしてこっても気にもされなくなったバッキバキな肩が「虚構」っぽくなるわけで、このイメージがゾンビにピッタリだったようです。「ゾンビ&バッキバキ」コンビに話を戻すなら、物理的に存在してそうなのに存在しないゾンビの肩と物理的に存在してるのに存在しない扱いにされるバッキバキな肩はどちらも「あるのにない」点で共通してる、って話でした。やっぱりね。

そして2つの肩が似ているからこそ、例の「往復」が可能になります。つまり、ゾンビゲームに集中してゾンビの肩が自分の身体になっても集中が切れてバッキバキな肩が戻ってきても「虚構/現実」の2つが共存できてるんですよ。戦士の肩がいきなりこったら世界観ぶち壊しだけど、ゾンビの肩がいきなりこっても世界観は壊れない。だるくて不快な身体のままで、もう一度ゾンビの世界に没入し直せます。そうやって、バッキバキな肩との同一化とゾンビの肩との同一化との間を自然に行ったり来たりできる。これこそまさに「「虚構/現実」を流動的に往復する体験」であって、だからゾンビ作品でだけポジティブに働く「不快感」がゾンビの流行を理解するカギになるわけです。

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