旭山動物園「奇跡の復活」立役者 小菅正夫さん(獣医学部卒業生)【北大人に聞く 第6回】〈後編〉

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奇跡の復活

動物園の飼育職員は誰もあきらめていなかった。小菅さんや現在の園長、坂東元さんら4人は仕事が終わった後の時間を使い、理想の動物園像を語り続けた。

しかし、構想は練っていても当時の動物園に十分な予算はつかず、入園者数の減少傾向に歯止めがかからない。追い打ちをかけるように94年、感染症で園内の動物2頭が死んだ。同年は8月末から閉園を余儀なくされ、それから3年連続で入園者数は20万人台に。だが、同時に改革の芽が出ようとしていた。

94年、テーマパーク構想を掲げる新しい市長が誕生。市長は翌年、小菅さんを園長に指名し、「どんな動物園を作りたいか?」と聞いた。

小菅さんはそれまでしたためてきたアイデアをぶつけた。

小菅さんらが考えたのは「行動展示」だ。いきいきと動いているときが動物にとって幸せな瞬間ととらえ、それを見ている人も楽しい気持ちになる展示にしようと考えた。例えばペンギンは深く、奥行きのあるプールで泳いでいる時が一番いきいきとしている。プールに透明なトンネルを入れそれを間近に見られるようにしようと考えた。

市長を説得するプレゼンでは、ほかの動物園などで撮影した動物の特徴的な行動をとらえたビデオを見せ「こういう動きをみせます。これよりさらにすごいです」などと説明したり、描いた図面を見せたりして視覚に訴えた。こうして予算を勝ち取った。

初めてついた大型予算で97年度、子どもがウサギなどと触れ合う「こども牧場」をオープン。これを皮切りにほぼ毎年、新しい施設を設けていった。

こうした取り組みが実り、来園者数は劇的に増加。2006年度には300万人を突破し、まさに「奇跡の復活」となった。

ペンギンがいきいきと泳いでいる様子が見られるようにした(旭山動物園のペンギン館、旭川市ホームページから)

学生へ「信念曲げるな」

旭山動物園の再生を成し遂げた小菅さんだが、原点は本学柔道部での経験にある。逆境の時にどう立ち直るか。いかに周りの仲間をまとめ力を合わせるか。これらは柔道と動物園で全く一緒だったという。

学生に向けては「信念を曲げずに、諦めずに前に進め! それが北大生だ」と力強くエールを送った。

座右の銘は「一所懸命」

<小菅正夫さんプロフィール>

1948年、札幌市生まれ。73年に本学獣医学部を卒業後、旭山動物園に就職。飼育係長、副園長を経て95年に園長に。2010年に同園を退職。現在は本学客員教授を務めているほか、環境省中央環境審議会臨時委員、円山動物園(札幌市)のアドバイザーとして活躍。著書に「『旭山動物園』革命」など多数。

前編はこちら→【北大人に聞く 第6回】 旭山動物園「奇跡の復活」立役者 小菅正夫さん(獣医学部卒業生)〈前編〉

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