【受験特集:どんな道でも、道は道】第5回(3) おもろい成川は、どこにいてもおもろい成川や

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「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。

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キャンパスには、北大生に「なってしまった人」も意外に多い。今回の主人公、文学部2年の成川航斗さん(21)=京都・私立洛南高校卒業=は定まっていたはずの進路を外れた北大生だ。先輩や同級生と同じように合格できるだろう、そんな未来があっけなく打ち砕かれた。下に見てきた、そんな大学に来てしまった。成川さんは、どうやって前に進もうとしたのか。やりきれない気持ちのまま講義棟に通う過去の受験生が「北大生になっていく」、その過程を追った。

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冬の北大とコンプレックスの再発

貴重な体験の機会や語り合える仲間にめぐり合い、次第に「楽しい大学生活」を送り始めた成川さん。しかし、春に抱いた不満や焦燥感は完全に消えてはいなかった。12月になると札幌では最高気温が氷点下を割る。雪が積もり始め、路面が凍りつく。晴れ間を見ることも少なくなる。まさに「試される大地」と呼べるような陰鬱で厳しい気候の中で、出かける足が重くなる。授業の後でサークルに向かうために、23℃の講義棟を出て氷点下の雪道を10分以上歩いて移動する気力はなかった。

「なんで僕がこんな環境に」一人で過ごす時間が増える中で、自尊心が満たされないまま、北大にいることへの不満ややり場のない焦りを、心の中で太らせていった。当時について、成川さんは「冬が終わって、周囲の人から『あの時の成川は鬱っぽかった』と言われた」と今ではにこやかに語る。解決のしようがない不満を一人で抱えていると、それはいつしか手がつけられないほど強固になり、視野を狭くしてしまう。

実力に見合う大学は果たしてここかと悩み続けた。「北大が世間では『頭のいい大学』に数えられていることにモヤモヤ」し、定まっていたはずの未来が現実と乖離している状況に嫌気がさし、自暴自棄になってしまう。

しかし、それはあまりにも偏狭な考えだったとある時気がついた。なぜ北大にいるのか、その意味が分かったような気がした。北大には、いろんな人がいる。となりには、序列化できない魅力のある人がいる。そのことを受験生活の中では考えもしなかったのだ。
「北大に入った時、ある意味で公立小学校のような環境に戻ってきたなと思ったのを覚えている」
北大には、勉強は「まあそこそこに出来て、でも他にしたい事に色々と一生懸命に取り組んでいる人がいる」と表現してくれた。

北大に出願したからこそ自分はここにいる

現在、成川さんは文学部文化人類学研究室に所属している。受験生になる前からアイヌ研究に興味を持っていたからだ。

思い返せば、中学生の頃に遊んだゲームが、アイヌ文化をモチーフにしていた。そこから、地元の京都では普段見ることのないアイヌ文化の「異質さ」に純粋に惹かれた。高校生の時には、石井美保氏(京都大学人文科学研究所准教授)の著作『めぐりながれるものの人類学』(青土社)に出会い、現地調査とは無縁に見える文学部の研究がフィールドワークに重点を置いていることに興味を持った。「文学部で勉強するならアイヌ」と心の内でいつしか決めていた成川さんは「とりあえず人類学の権威のいる京大で学士をとって、その後北大の院でアイヌの研究をしたい」と考えていたという。「4年京都、修士2年北海道(の予定)が、4年北海道、修士2年京都になっただけで、いずれにしろ北大に来る予定だった」と、北大に出願した当時の事を振り返る。石井准教授も北大文学部出身であるという共通点にも後になって気がついた。

 アイヌは北大の特徴的な研究テーマである。京大には入れなかったかもしれないが、大学時代にやりたいことは思った以上にできていた。定まっていたはずの未来は、完全に否定されたわけではない。

※2024/03/29 9:04 表現を一部修正しました。

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