戦争の影は影であったのか-北大助教の南洋渡航記から-

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7・8月は北大新聞が一時の休刊を行った第二次世界大戦前後の記事を読み直す。今回はその休刊前に発行された昭和18年(1943年)12月14日の第295号から採用した。

戦争の実像を目の当たりにした兵士の手記や従軍記者が撮影した映像には戦争の惨状が克明に記録され、現在の私たちに強い反省を求めることができる。しかし、戦争の悲惨さをそれそのままに伝えることで、市民生活とは乖離した戦争像が構築される。この方法では「戦争を起こしてはいけない」という漠然とした判断をただ形作っているようにも感じる。

8月に入ると第二次世界大戦の記憶を風化させないために、様々な報道がされる。前述の手記や映像はこういった報道の代表格であるといえる。これら報道が国民の反戦意識を維持することに有効であることは疑いもない。だが私には、往々にしてみられる「戦争を起こさないために私たちには何ができるだろうか」という話の帰結には疑問を抱く。
現代の私たちに求められる未来の行動とは、戦争の悲惨さに心を痛めながら、「戦争はだめだ」と思うことだけではなく、日常生活の輪郭を正しく見つめながら、戦争の兆候を鋭敏に感じ取ることであろう。そのために今必要なことは、戦火から距離を置きながらも、戦争を見つめ続けた人の経験談ではないだろうか。彼らの経験こそ、戦争の可能性を孕んだ現代日本の私たちにとっての糧となると思う。

今回選んだ記事は「セレベスの想出」という寄稿文だ。この記事は、『はしがき 1.メナドと落下傘部隊 2.赤道通過と敵機 3.マカツサルと空襲 むすび』という構成で書かれた、北海道帝国大学助教授の宮脇恒氏の南洋渡航記である。
大きく3つに分かれている本章では行きの飛行機での話と滞在中の空襲の経験が描写されている。

宮脇氏は飛行機の中で戦争の姿を目の当たりにしながら、同時に日常が背中合わせであることを綴っている。
『~~若き日夢にみた赤道、その赤道通過である、私は窓から会場を見下ろすと、みはるかす白雲漠々何と美しい積層雲であらう。~~やがて紙片が私の手に渡されて目を落としハツと我に返った「この辺りは〇日敵機(以降〇は識字不可)が出没してをります。乗客の皆さん窓から監視して怪しきものを発見したときは、直ちに通報してください。〇協力を願ひます」と書いてあるではないか。』
宮脇氏が元来憧れであった赤道を通過することを感動的に描写し、南洋諸島の光景を飛行機の中から眺めた風景の美しさを語っている。しかし、しばらくした後に機長から紙をもらい今自分のいる空域が戦場であることと、そこにいる自分が戦争の当事者となったことにハッとする。
大学の仕事での延長にあるわけなので、それは仕事の一環だ。つまり、日常の予定表に組み込まれた用事の一つでしかないのだ。とはいえ彼に特別な経験を楽しみにする気持ちを持つなと言うのは無理な話だろう。
戦争中だから宮脇氏のような民間人が、軍人がいる場に居合わせるのは自然であろうか。軍人と民間人が肩を並べて飛行機に乗ることはあってよい事だろうか。このような問いを立てれば、それが正しくないことは一目瞭然である。個人的な旅行ではないから当然、空路での移動に軍の存在を感じないはずがない。

他にもこのような例はある。
宮脇氏がセレベスに到着し、当時首都であったマカツサル市のホテルにいた時のことだ。
『俄然十時頃であつた。けたゝましい警戒警報のサイレンが真向ひの民政府の屋上から鳴り響いてきた、~~私は人々と共に直ちに地下防空壕に飛び込んだ。~~近くにも焼夷弾が落ちたらしい屈折してゐる入口から反射して〇内がパツト明るくなる。』
『私の驚異は今一つある。それは現地の進出邦人が警報と同時に直ちに部署に走り軍、官、民まことに一致協力夫々の任務を果たし何等慌てふためく姿がないばかりかよく実は昨夜何事もなかつた様な顔で夫々の職場でそれぞれの本務に真劍に働いている凄い姿を見たことである。』
この記述は戦争の日常化の最終形態を表している。地震に対する避難訓練であるかのように規範化された行動計画が日常に刷り込まれている。
防空壕に入る練習は危険から人々を守るためのものであるが、非日常であるはずの空襲を日常の中にあっても問題ないようにするための機構としても働いてしまう。背に腹は代えられない事態とはいえ、日常化の道筋としてこれほどまでに適しているものはないと考えざるを得ないのだ。

ここに含まれた戦争の姿は敵機の発見について連絡するチラシだけではない。空路で移動するときに軍人の姿が現れることや、北大・東大・京大・九大から1人ずつ派遣されていることからも感じ取れる。これらは宮脇氏が気にも留めない事柄であろう。なぜなら、彼は日常と戦争の同質化に慣れきってしまっているからだ。

彼は敵国の人間が現実に「そこにいる」ことを理解してやっと戦争の輪郭を掴んだものと思う。今の我々であれば、日常と戦争の輪郭が重なっていくことに、早い段階で気付けるのではないだろうか。

大学の数が今よりも極端に少なく、人材育成の場としての価値が重かった時代。大学の構成員が社会のエリートとして役割を認識していた時代。一般的な日本国民でありながら、帝国大学の教員という、政治の動向に少しばかり近い立場の見聞録は「今の」日本国民にとっては誰しもが学びを得ることのできる資料ではないだろうか。

「戦争を起こさないために私たちには何ができるだろうか」という台詞に少し手を加えて、最後にここで再提起しよう。これを読むことのできる現代人、私たちは「戦争か否かに至る意思決定の主体を、民衆へと繋げるために何をすべきであろうか」

(取材・執筆 吉村千宏)