かつての北大新聞から読み解く「アイヌ遺骨問題」

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この記事では、北大による遺骨収集が事実であるということの信憑性を検証するために、かつて北大新聞(当時は北海道帝國大学新聞)に掲載されていた記事を2つ取り上げる。

まずは、昭和7年(1932年)12月15日発行の第104号に掲載された、昆虫学教室所属の河野廣道氏の寄稿文を紹介する。この記事は、河野氏が発寒村で発見された遺跡を訪れた際の様子を記している。

アイヌ(?)の墓は約四百年乃至四百五十年位前のもので、大体室町時代と推定される。墓壙は二つ並んで居るが、その内一には人骨が三体あり他のものには二体あつた。第一のものは〇べて(以降、〇は読み取り不可)臥葬し、その後又一体を埋める時に下に人骨があったので上に屈葬にしたらしい形跡を有する。骨格の性別は何れもまた判然しない。(記事より抜粋)

この記事は「昔、北大は研究目的でのアイヌの遺骨収集を行っていた」ということが紛れもない事実だと示している。

次に、昭和9年(1934年)6月18日発行の第129号に掲載された、解剖学教室の児玉教授一行がアイヌ研究のために北海道八雲町を訪問したことについての記事を紹介する。

八雲に於てアイヌの遺骨を発掘中であった解剖学教室の児玉教授の一行は完全なる遺骨三十〇〇の外貴重なる土器の数々の大収穫を得て先づ〇〇したが同教授の談に依れば尚続々発掘の見込みで今夏も教室員を挙げて八雲に従事する筈で研究調査完了の後は解剖的にも人種的にも大なる貢献があるものと各方面から期待されてゐる。(記事より抜粋)

この記事の中にはいくつか興味深い表現がある。「大収穫」「大なる貢献」といった表現である。これは、当時北大においてアイヌ民族の解明が切望されており、その過程における遺骨収集が肯定的に捉えられていたということを示している。

今後、北大が研究目的で遺骨収集を行ったという負の歴史が消え去ることはない。加えて、現代社会で、個人の尊厳が重視される以上、誰にとってもこの事実は他人事ではないはずだ。創基150周年という歴史の節目に直接立ち会っている私たち北大生には、特にこの問題に真摯に向き合う姿勢が求められている。

(取材・執筆:和田)