北大新聞100周年によせて——北大新聞100周年 第二章へ
1926年5月14日、北海道大学新聞(当時は北海道帝国大学新聞・以下北大新聞)は北の大地で産声をあげた。
大学生が自ら筆をとり記事を書く。そのシンプルで深い営為が実に100年もの間続いてきたことに驚くとともに、北大新聞を100年間支えてきた先人たちに、この場をもって深く敬意を表する。デモクラシーが、戦争が、学生闘争が、技術革新が、事故や事件が、そして疫病が去来した100年。時代ごとに入れ替わり続ける学生たちが限られた在籍期間の中で残した数多くの記事は、今なお北大の歴史を語っている。その間に北大新聞は2度の休刊・廃刊を経験し、大学新聞を存続させることの難しさを誰よりも知っている。
北大新聞の歩んだ軌跡への詳細な言及は、100周年に際して展開されている連載『LOOKBACK北大新聞』に譲るとして、ここでは大学新聞という媒体自体への回顧を試みたい。
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100年間の中で、大学新聞の置かれる立場は確実に変化してきた。それは社会の変化でもあり学生の変化でもあり大学自体の変化でもあった。
全国の多くの大学新聞は、大正デモクラシー末期の1920年代に誕生した。学校令により数を増した大学生たちは自由な言論空間を希求し、圧倒的な拡散力を持つメディア「新聞」の発行を始めたのである。大学新聞自体が社会的な存在意義を強く持っていたため、学生たちの紙面は大学広報の役割も担った。北大新聞に児玉作左衛門の研究内容、中谷宇吉郎の功績、宮澤弘幸の寄稿などが載っていた事実も、情報拠点としての大学新聞の確かな役割を示している。
しかし1930年代以降、自由な言論は軍部の介入を受けるようになり、戦中にはプロパガンダの担い手になった。大手新聞さえも新聞統制を受け姿を消す中で、かつての学生たちはここで一度筆を折る。学生として学ぶことができなかった時代。その時大学新聞は息を潜めるのだと歴史が示している。
そして戦後、抑圧からの解放感とGHQの政策を追い風に成長した大学新聞は、間違いなく以前と異なる形に変わった。学生運動が全国の大学を揺るがした時期に、粗削りな学生の主張を載せ特定の党派・勢力を代弁した過去は忘れようがないだろう。
その反動の様なのか、1980年代以降に大学新聞は学内情報のプラットフォームへと変化しキャンパスライフや就職活動といった内容を主軸に扱うようになった。そして2010年以降は特にジェンダー・環境問題・グローバル化といったトピックにアンテナを張る大学新聞が多い。
大学当局のPR誌として、時に国家の宣伝機関として、また学生運動の機関紙として——大学新聞は常に「誰か強い立場の声を代弁させられかねない危うさ」と隣り合わせであり続けてきた。熱しやすい「学生」が書き手である以上、中立性を保つ難しさは大学新聞の宿命であり、100年間つきまとってきた。そうした荒波の中で、大学新聞は2つの潮流の間で揺れ動き続けている。ある時代には社会問題に鋭く切り込み、学生自身の意見や批判精神を前面に押し出す紙面が求められた。また別の時代には、声高な主張よりも学生の日常、サークルや研究室の何気ない風景に光を当てることが求められた。
いずれにしても「学生自身の視点・思考を基にする」という姿勢は一貫していたはずだ。学内の問題を明るみにし社会への問題提起をすること、学生の日常や活躍を学内外へ伝えること、その時々の大学の姿をありのままに記録すること。記者と取材相手の独自のコネクション、緊密な距離、学外に出てこない記事ネタといったものが、大手メディアにはまねできない財産であった。学生にしか担えないこうした役割・財産が、大学新聞という存在の強みそのものである。
だが現在大学新聞はこうした強みを失い、かつてない窮地に立たされている。SNS時代の今、学生の意見はもはや紙面を経ずとも、投稿ひとつで容易に世間の目に触れうる。大学生活やキャンパス内での活動も、当事者本人の発信や大学広報のアカウントによって世に流れていく。その速さと細やかさは我々大学新聞の取材が追いつかないほどである。かつて大学新聞が半ば独占的に担ってきた役割は、誰もが担えるものへと変容してきた。
さらに新聞そのものの地位も危うい。大手新聞社さえ経営に苦しむ時代、大学新聞も資金難に直面している。紙面の購読収入で黒字化できる大学新聞はわずかで、大半は部費や大学からの支援・OB等からの寄付、広告収入で活動を続けている。赤字により紙面発行停止や廃刊に追い込まれることも珍しくない。また部員の減少、相次ぐ廃部、紙面発行の終了とネットメディアへの転身など、大学新聞独自の問題は様々な形で山積している。
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100周年の祝辞で紙面を埋められるほど、大学新聞の現状は甘くない。これからの時代に大学新聞に求められる物は何か。一つは中立性を備え開かれたプラットフォームでありながら、学生ならではの色や熱を失わないことだろう。また辛うじて新聞が握っている「メディア」という肩書を無闇に手放さないことも必要になる。影響力が相対的に減衰したとはいえ、大学新聞はあくまで新聞である。少なくとも北大新聞は大学当局に公式な取材・質問を申し込むことができるし、我々の報道が時に大手報道機関からも一目置かれることがある。学生ひとりでは知りえない情報、聞きづらいことを問う鍵を大学新聞は握っている。これらは先人たちが100年の歳月の中で築いた立場の上に成り立つものであって、一朝一夕で得られる物ではない。
幸いにして大学新聞の新しい形は各地で芽吹き始めている。存続する新聞がネット時代への適応策を模索する一方で、かつて新聞が廃刊した大学に全く異なるネットメディアが誕生する例もある。紙面はおろかHPも持たないが、noteやX(旧Twitter)のみを舞台に報道を行う人々もいる。かつて画一的であった大学新聞は、その生き残りと再生の過程で多様な姿に変わりながら生きているのである。
そもそも、大手新聞・新興のネットメディア・大学新聞・個人のインフルエンサー——それぞれの境目がもはや判然としない。情報発信は記者の特権では無くなったのだ。加えてAGI(Artificial General Intelligence 人工汎用知能)の誕生も近いと言われる中、文字を綴ることも人間だけの能力でなくなった。それでも、先述の様に記事を書き続ける大学生は各地にいる。だからこそ、我々は今一度原点に立ち返って問い直す必要があるだろう。
「なぜ私たちが、なぜこの内容を、なぜこの媒体で、誰に伝えるのか」?
AGIにあやかって言うなら、大学新聞にもAGIの時代が来る。大学社会(Academia)のメディアとして、学生が集う情報の広場(Agora)として、学生独自(Alternative)の視点を提供する存在へ。3つのAを抱える新聞(Gazette)が挑む改革(Initiative)の時代である。
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北大新聞は100周年を迎えた。大学や社会に同調的に、時に批判的に、自らの居場所を探り続けてきた大学新聞は、様々な勢力の台頭で窮地に立っている。だが易々と手放せるほど軽い立場ではない。
100年後も大学新聞がこの世に存在しているか、正直なところ誰にも分からない。だがその時、我々と同じ志を抱いた同年代の若者たちが記事を執筆できるように願っている。そのために我々大学新聞は、これからも報道をし続けるのである。
大学新聞の第二章へ、ようこそ。
(執筆:創刊100周年企画室編集長 古谷)
